高野山、南紀、志摩の旅(その2)
3月9日(金)は、白浜を出発して、本州最南端「潮岬灯台」へ、
日米修好通商条約(1858年)で5港(横浜、神戸、函館、長崎、新潟)が開港した後、1866年のアメリカ、イギリス、フランス、オランダの4ヶ国と結んだ江戸条約によって8ヶ所の灯台(観音埼、野島埼、樫野埼、神子元島、剱埼、伊王島、佐多岬、潮岬)を建設することを約していたんですね。その一つが潮岬灯台で、日本の「灯台の父」と呼ばれるリチャード・ヘンリー・ブラントンが設計・指導して1869年(明治2年)4月に着工し、翌1870年(明治3年)6月10日に完成したそうです。開港すれば灯台が必要になる。考えれば当たりまえの道理ですよね。
灯台から見たパノラマ写真
お昼は、潮岬タワーへ、
近大マグロを頂きました。
完全養殖ですが、確かに鮪ですね。
潮岬を出発して、熊野大社に向かって走っていると、「橋杭岩」に、
泥岩層にマグマが噴出し、その後、泥岩が波で流されマグマが残ったのだそうです。噴火と侵食の自然の作った美ですね。
「熊野那智大社」
「那智の滝」の滝壺から
今日の宿「志摩観光ホテル」に、
3月10日(土)は、志摩観光ホテルの館内ツアーからスタートです。
クラブに展示されているサミットの会議テーブルの一つ、
その横には、作家山崎豊子の愛用のデスクと椅子が、
志摩観光ホテルは、華麗なる一族の舞台になっているんですね。
志摩観光ホテルは、鈴鹿にあった海軍工廠高等官集会所の柱や梁を移設して建築されたそうです。クラブは旧館になるのだそうです。
空中庭園に登り、
サミット集合写真の一つは、ここでとられているんですね。
(志摩観光ホテルのHPより引用)
途中、新東名の110km区間を走り、戻ってまいりました。